橋渡し
読書会が終わった後の座談会中、モテる雰囲気のあるその方は、下記のようなことを言っていた。
「オンラインからオフラインの現実界で実際に逢えた時に、コミュニケーションがうまくとれて仲間と愉しく語らうことができるように、今のうちに橋渡しの作業をしておかなきゃと思って。」
と。不思議で面白い言葉だなと思いつつ、思わずラジオっ子としての己自身に、意識を揺り戻してみる。
話し手の声・話されている内容・ジングルetcを、オンライン状態で耳にするリスナーたち。毎週または毎日そのラジオというオンラインの場に自らの意思で集うものの、互いが顔を合わせるということはない。とはいえ、番組にメールを送っていたり呟いていたりしたものが話し手さんによって読まれていると、RN.という形で、互いの耳に残ることになる。ラジオ番組に、リスナーという形で番組制作に或る意味関わる聴衆者たち。それが、オフラインになった瞬間・・・リスナー同士だけでさえ、或る面白かった回の内容だったり、ジングルを口づさんでいたり、それだけで、旧知の仲のように愉しく語り合うことができるのだ。。。
とすると、文頭のモテる雰囲気のあるひとは、授業という或る意味強制?!の場を……否、だいがくという時点で、強制という価値意識を持たざるを得ないのならば、出る必要なぞないのだが(それはさておき)……自らの意思で参加したくなるような場にするべく、オンライン上で骨を折っているのか、このご時世だから誰しもすごいな、と。
でもここで、ひとつフニオチない点が。物事を取り組むに際しての能動的な意識がよわい若者ってなんなんだろう・・・型を抑圧と捉えるか、または、型を自由と捉えるか・・・なのかな、まだよく解らん。