ひっそり、こっそりと、稼働中。

鑑賞メモ、読書メモ、日常の彩りに思うことなど。

コミュニケーション

参加している場でのテーマが、その日は、「コミュニケーション」。

 

今回の場合は、あらゆる参加者さんに救われている状況で、すこしばかり一安心しつつ。

 

気配り美女ちゃんからの言葉を耳にしてからは、これは、参加できそうな人に声かけられるだけかけて、連帯を組みながら状況を分析しつつ、手探りでしていくしかないのかもと思う今日この頃。

 

もと羅語美女ちゃんと、二人三脚しながら、どこまで手探りできるかな。

 

終了後、テディが状況をみて思ったことを送ってくれた、その言葉は、かなりの手厳しい一文。やっぱりそれは浮彫になるよねと思いつつ、さてこれをどうあの場所に属しているboys&girlsが対応していくかだろうなと思ったり。

 

連帯を組んでの気配り祭。手作りを負担ない程度でやりたいなと思う。(つくづく、大昔僕が潜っていた先の、レッドウィングにデニムがよく似合っていたお方は、或る意味理想なんだよなと思う。脱落してばかりの私が何を言うという感じですが(笑)。)

野郎だらけ(笑)。

web上でやっと顔合わせできた、野郎だらけの様相に、思わずクスッとしつつ。

 

私自身の根っこが男のコ~なスタンスだから、野郎だらけの中だとかなりストレスフリーという。

 

ヒルな感じの男のコが一人。基本的にそれぞれが仲良さそうな感じがした。

 

彼らは普段からミュートにしてなさそうなんだけれどな。気配り美女ちゃんとまたお電話するときのストックにしつつ。

 

手助けうまくできるといいな、私。って言ってないで、文献読んだり自分のことも色々するぞ、夏。

フニオチ。

自ら向こう岸へ渡ったひとの話を耳にする中で、フニオチないこと。

 

自らの生を力強く生き抜いたからこそ、自らを第一に考えたからこそ、自ら向こう岸へ渡ったのでは・・・と思う。

 

昔なら、そのひとを素敵だなと思ったことだろう。(今も、どちらかと言えば、そう思っている。惰性に抗う行為だもの。)けれど、今の私は、、、自らが向こう岸へ渡ることで大事な人が幸せになれるならば、という条件付きでのみ、そうするだろうという心境。自らの生を生きていないことになるのかも知れない。分からない。

 

大きな輪の中で、私がその言葉を発した時、問いを出したひとだけでなく、ほぼすべてのひとが唖然としている中で、貴方だけは、柔らかな笑みを浮かべて頷いていた。そして、自身の生い立ちから今の想いを語っていらしたのを耳にしたとき・・・その時の自分自身を思い返すと、私はしなやかな強さを体得していたのかと思ったけれど、、、よく分からない。

 

pufufu、ここは、誰にも知られていないから、ホントに完全な無防備の私かもしれないな。

横浜トリエンナーレ。

気配り美女ちゃんを誘い、3年前は行き損ねてしまったから、6年ぶり(笑)の横浜トリエンナーレへ。

 

美術館は、初めて・・・という彼女。美術館に行ったことがないひとが、愉しむことができる美術展は何ぞや・・・と考えた挙句、横浜トリエンナーレにしてみたものの、観始めてから「コレハ、マチガッタカモシレナイ。。。」という想いに囚われてしまった。

 

其々の作品解説のパネルには、(作家自身の言葉・作品の詩的な解釈・作家&作品に関する説明)が、所狭しと書かれていて、その文章を読みながら、己自身の思考と絡み合わせながら、そして、目の前にアル作品にすこし茫然としながら観てゆく。それは言わば、解らなさの中で振り回される自分に唖然としながらも、振り回される中から自分の観方を見いだすことで、作品を、文章を咀嚼するという、精神力や体力を相当消費する展示の数々だったからだ。

 

美術館に、誰かと二人で行くということを、しかも美術館へは初めていくladyと一緒に行くということをしたことがなかった私は、どういう風にこの作品を観ることができるか、この作品とあの作品が連続して展示されていることには、どのような意味があるのか・・・etcについて、歩みを進めながら、互いに語り合っていった。

 

彼女が関心を示しているものに注目してみると、既存の価値観に対して疑問を呈するようなものに興味を惹かれているようだった。平均台の上にお釜を置き、その上に立ってバランスをとる女性の写真とか、ココロを病んでしまったひとと昔はどう関係性を結んでいったのかというインタビュー映像とか、廃棄物によって創り出される日本画のようなものとか。作品を起点にして、そこから想像力を膨らませ、物事の核心へ、問いの核心へ辿りついてゆく彼女に・・・愉しんでいる様子に、すこし安堵しつつ。

 

彼女が、一際気に入った作品があった。裸体の女性が、大木のようなものを眺めながら、背中を向けて横たわっているもの。「あっ・・・きれい。」その言葉に、ふと作品のタイトルへ目を向けてみると、題名は「すべてがむなしい」。何故このタイトルなんだろうね・・・などと言葉を交わしあいながら、展示を観終わると、観始めてから、2時間半が経過していた(笑)。

 

己自身の、物事についての観方に関する方位磁石が、どこを指しているか分からなくなってしまうような作品群のなかで、その世界観に抗うことなく身を浸し、思考を編んでゆく。その過程を愉しみあえたのは良かったなと思いながら、二人で糖分補給という名のお茶会タイムもして、互いの色々を語り合ったり。

 

同じ場を共有しあう中で、互いの言葉の中から、思考のズレを、ココロのズレを認識しつつ、そのズレを矯正することなく、どう良く解釈していけるかを探し合うような語りの時間。それは、貴重な、大事なひとときで、これを大事だと理解できている間は、擦れてはないな、私・・・そんなことも考えていたひとときだった。

 

誰かと一緒に食べながらお喋りする時間ってだいじ。

やる気というもの。

事細やかな気配り美女ちゃんとの、約1か月ぶりぐらいの電話。彼女から勢いよく話される相談事を耳にしながら、ふと、もはや父になっていた?!ひととお茶しているときに語られていた内容を、思い出していた。

 

「この状況下になって、もう彼ら彼女らの中は、天と地ほどの差が開いてる。お前が学部の頃のようにひたすら本を読み漁り勉強する人もいれば、お耳はそっぽを向いてやる気ないひともいる。後者が大半。」

 

と。その父が書いたライトノベルのような?!小説を読んでみて、状況が手に取るように見えた。彼女が語っていることも、その小説に当てはまるように見えた。

 

彼女は・・・力技で引っ張り上げるのではなく、後方から並走する立ち位置をとりたいらしい。それは、教育的配慮が大半を占めつつも、彼女自身の語りからは、「自分なんて」という負い目が垣間見える。彼女は、実感・体得してなさそうだけれども。

 

「自信を持っていいんだよ。」と言葉をかけたけれども・・・直接会った時に、すこし、彼女が認識していないであろうココロのわだかまり・目に見えない数々のストレスを紐解いてあげることができたらいいのかも知れない。

 

声で、語られる言葉で、語りの間合いで、互いのココロの芯に耳を傾けあう時間。有難く、面白い、ステキなひとときに感謝しつつ。

 

(美術館散歩用の、れじゅめもこっそり作ろう。)

雑記。

大事なことは、すぐ忘れてしまう・・・そんな中で、脳裏にこびりついている記憶ってなんなんだろう、どういう意味を持つのかしら、、、なんて、そんなことをふと思う。

 

明日には、数字がひとつだけ変わるものの、なんだか僕のスタンスは相変わらず変わらなそう、と。とはいえ、変わってしまったら、この現世に身を置いてはないだろうから、変わらない状態であがいているというのは、人間としては良いのかもしれない。否、羅語美女の言葉を借りて言えば、人間らしくはないのかもしれない。向こう岸へ逝った人の方が、自分を大事にし、人間らしくいることが出来ていたんだろうな、そんなことを、思う。

 

去年の半ばから、随分と懐いてくれている女子がいる。確固たる意志を持ち、全方向に視野を張り巡らせ、些細なことをいろいろ拾いながら、気配りするべき点がどこにあるのかをリストアップしている女性。随分と年下でありながら、語らっていると同い年のような感じもするし、互いにフラットな場で言葉のキャッチボールをし合う。相手のマイナス部分をずばり指摘しつつも、そのマイナスを反転させた時の見え方もきちんと提示できる柔軟さには、目を見張るものがあるなと感じつつ、人には見せない形でストレスを多分に溜め込んでしまう繊細さんだから、フォローできる部分はしてあげたいなと思ったり。

 

ここ2~3年で、随分と懐が深くなった気がする。それを懐いてくれている彼女は、「頑張りすぎじゃないですか、大丈夫ですか。」と気遣ってくれるのが有難く。とはいえ、気遣わせちゃいかんとも思いつつ。自分がいつでも一番下で外様・・・その意識を常に持ち続けられている限りは、フラットに語り合えるかなと思ったり。

 

さて、午前のtea timeおしまい。

伝説のひと。

(これだけは、書いておこう(笑)。)

伝説のひとと、お耳で数分間だけ相まみえた桜満開の時期。

 

「緊張してますか。深呼吸してみましょうか。」深呼吸している間、耳元に聞こえてくる…「ええかぁ、ええかぁ、ええのんかぁ☆」…その言葉に、頬は緩み、張り詰めていた身体とココロの緊張はほぐれて、お腹の底から笑いがとめどなく沸き起こってくるという。

 

お耳と心ネタで粋に遊ぶ、そこに藝を見た(聴いた)気がした。

 

深夜ではなく、夕暮れ時だったのに、なんだかお布団を頭から被って聴かなきゃいけないような気がいまだにするというのも面白いものですな。

 

また、お耳で逢いたいものです。